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樹医SATO
徒然エッセイ
悩みの多い日々ですが,たまにはいいこともあります。一粒の幸せを大切にしています。

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はじめに
 千葉日報の「ひろば」に投稿した作品とそれ以外の作品と合わせて「徒然エッセイ」にしました。
一粒のエッセイ
 「若い先生に一つの花を」は小学校で初任者指導をした思い出を綴った初めての作品です。
 日々から生まれる作品は積れば山となるでしょう。どんな山になるのか楽しみです。
 「投稿作品」と「エッセイ」に分けてあります。
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投 稿 作 品
No.1

若い先生に一つの花を

 今年、学校を定年退職し、初任の先生の指導をしている。
 小学校4年の国語教材に「一つの花」がある。戦争末期、食べ物のない時代だった。出征するする父を母と駅で見送る幼いゆみこは、「一つだけちょうだいおじぎり(おにぎり)と駄々をこね泣き出してしまった。困った父親は、何かないかと、あちこち探し回り、コスモスの花を見つけた。それを一輪手折り、「一つだけあげよう、一つだけのお花、大事にするんだよう」とゆみ子に手渡した。
 父親は帰ってこなかった。10年後、家はコスモスでいっぱいに包まれていた。
 担任のA先生は、一生懸命に授業に取り組んだ。私も初任の時に扱った作品だった。
 私は、時代的背景、一輪のコスモスの花に込められた父親の気持ち、平和への願いなどについて話した。A先生は、うなづきながらメモをとっていた。
 いつしか、駅の父親の姿が自分に重なった。未来を継ぐ若者に、一つの花を手渡しているような気持ちになった。
 終戦から67年経った。教え子たちは大人になり、平和な日本で活躍している。教え子を戦場に送らなかったことを幸せに思う。
2012年8月掲載

No.2


定年退職を機に大学聴講生に

 定年退職を機に大学の聴講生になった。これまでを振り返り、いろいろとゆっくりと考えてみたかった。
 渋谷駅から駒場東京大学まで歩くことおよそ20分。門を通ると右手に駒場池(本郷の三四郎池に対して一二郎池と呼ばれている)がある。この池は、湧水によって満たされている。鴨が5〜6羽泳ぐのが見られる。周辺には樹木がたくさんあり、四季ごとに表情を変る。大きなイイギリは秋になると黄葉と房になった赤い実がきれいだった。
 ハルニレの茂る通路を抜けると広場、図書館、学生食堂があり、さらに銀杏並木を少し歩くと目指す教室がある。一番前に座りノートと万年筆をとりだす。ありふれたことだがうれしかった。教室は学生でいっぱいになった。
 授業が始まると一斉にカツカツとノートをとる音響いた。他には先生の声しか聞こえない。ときどき、うとうとしてしまうことがあった。はっとして目をあける。いちばん前なのでよく見える。見られたら恥ずかしい。そっと隣の学生をのぞいてみると、その学生も目を閉じていた。すこしホッとした。
 授業が終わって帰ることにはもう薄暗い。あちこちの校舎に明かりがともり、授業を受ける学生たちの姿や先生の姿が窓越しに見える。それは幻想的に美しかった。私は、その光景を見ながら帰るのが好きだった。
 親子ほど歳の離れた学生たちと一緒に勉強していると少し恥ずかしかったが、今までなかった新鮮な気持ちになれたし、考え方も変わってきた。
 このような機会を得られたことに感謝している。今後の教育活動の糧としたい。
2013年1月掲載

No.3


にぎやかな「ハム」の世界

 アマチュア無線やそれを趣味にする人のことをハムと言います。50年ほど前の真空管式受信機をネットで見つけ、懐かしくて購入しました。測定器を自分で作り、何度も調整を繰り返すとやっとよく聞こえるようになりました。日本中のアマチュア無線局の交信が受信機から朝から晩までにぎやかに聞こえてきます。
 毎日聞くうちに、あることに気づきました。それは高齢の方が多いことです。ずっとハムを続けてきた人たちや定年退職後に始めた人たちであることが交信の内容からわかりました。
   子どもの頃、ハムは趣味の王様と言われていました。私も夢中になりましたが、やがてコンピューターの時代になりコンピュータに興味が移るといつしか遠ざかってしまいました。
 高齢になると外出する機会が減り、人と話すことが少なくなりがちです。しかし、スピーカーからは毎日楽しそうなハムたちの会話が聞こえてきます。
 ハムは毎日たくさんの人たちと話をすることができるし、いつまでも続けられる素晴らしい趣味だと思いました。
2015年11月掲載

No.4
ホームページは素敵な魔法の家

 私は15年前にホームページ(以下HP)を開設しました。インターネットで自分のことを発信できたら素敵だと思ったからです。
 初めはお祭りや草花の写真を紹介した小さなものでした。今では地域の紹介、オートバイのこと、趣味の研究・工作、自己紹介、掲示板と内容がふえてにぎやかになりました。 
 特にオートバイと趣味の工作・研究のページには毎日訪問者が来てくれます。ときどき掲示板に質問や感想を残してくれるので、それを読んだり回答したりするのも楽しみの一つです。
 訪問者数は毎日カウンターで確認し、記事を更新したり、より見やすいデザインにしたりするための参考にしています。一生懸命に作ったページに大勢の人が訪問してくれた時は思わずにっこりしてしまいます。訪問者は今年になって3万人を超えました。
 HPは私と世界を結ぶ魔法の家です。訪問してくれた人も私も一緒に充実した時を過ごせるHPにしたいと思っています。
2017年5月掲載

No.5


スズメバチの巣除去に大奮闘

 8月のこと、知人からスズメバチの巣を除去してほしいと頼まれました。巣は道路に面した生垣の下にあり茶色でバスケットボールくらいの大きさでした。10円玉くらいの穴からは大きな蜂が顔を出してこちらをにらんで警戒していました。
 私はバイクのフルフェースヘルメットをかぶり首にはタオルを巻き長袖長ズボンにゴム長、皮手袋という装備です。
 恐る恐る巣に近づいて殺虫剤を噴射すると蜂がブンブンと音を立て次から次へと飛び出して来て巣の周りをぐるぐる飛びまわりました。大きな蜂がこんなにたくさん飛びまわるのを見たことがありません。思わず後ずさりしたとき、一匹の蜂が私めがけて飛んで来るのが見えました。ひやりとしてしゃがみ込みました。
 殺虫剤を噴射しては逃げるのを繰り返すこと20分、ようやく蜂の抵抗がなくなったところで枝についた巣をとることができました。
 丸い巣の内側には傘のような形の巣が3段になってついていて一つ一つに大きな幼虫や蛹(サナギ)がびっしりと入っていました。
 知人に巣が取れたことを知らせると大変喜んでくれました。道路のそばなので心配していたのだそうです。近所の人たちや登下校の子どもたちが安全に通行できるようになってよかったなと思いました。
2017年10月掲載

No.6


年末のハレルヤ合唱成功し喜び

 昨年12月23日のこと、いすみ市で開かれた「第13回クリスマス・チャリティーコンサート」に私は混成合唱団の一員として参加しました。 コーラス・グループの歌、ハモニカ演奏、オカリナ演奏、子どもたちの歌とダンス、中学校吹奏楽部の演奏、合同合唱などが披露されました。 合同合唱の曲目は「大地讃頌」、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」、「ハレルヤ」でした。中でも「ハレルヤ」は難しくて苦労する曲です。
 さて、いよいよ「ハレルヤ」の番となり、みな緊張して指揮者を見つめました。指揮棒が勢いよく振りおろされると“ハレルヤ”と高らかに合唱は始まり、歌の流れは急流のようにどんどん進みました。
 私は、時々楽譜に目をやりながら、ありったけの声を出して歌いました。耳元では「頑張れ」と叫ぶように弾けるティンパニ、大合唱のうねりに自分が溶け込んでいくようでした。
 最後に、ひときわ大きい“ハレルヤ”の荘厳な響きの中で指揮棒が止まると、一瞬の静寂。ホッとしました。そして、今年も「ハレルヤ」を歌えたな、チャリティーに参加できてよかったなという想いがこみ上げてきました。
2018年1月掲載

No.7
留学生からの素敵な贈り物

 3月に桜が満開を迎えたころ我が家はアメリカからのお客様を迎えました。息子の大学留学生だった娘さんが旅の途中で立ち寄ることになったのです。妻と私は諸準備をすませドキドキして来訪を待ちました。 彼女は夕方に到着しました。玄関のドアが開き、目の前に現れたのは想像していたよりも小柄な娘さんでした。彼女は笑顔で「ナイス・トゥ・ミートゥ・ユー」と手を差し出しました。私も「ナイス・トゥ・ミートゥ・ユー・トゥ」と答えて握手しました。互いに緊張がほぐれてホッとした瞬間でした。 夕食は焼き肉です。みんなでジュウジュウ焼きながら色々な話をしました。幸い彼女は日本語が上手でした。アメリカは多文化国家なので独自の文化を持つ日本に心を引かれたと英語を交えて話してくれました。 さて、何でも食べた彼女ですが、アジの丸干を出された時には「食べ方が分からない」と困っていました。そこで「彼(息子)の食べ方を見て食べなさい」と教えると、驚いたことに箸で上手に食べました。にぎやかな夕食はいつまでも続きました。 彼女は息子の案内であちこち見物し、3日間滞在して次の旅へ向かいました。彼女を送り出すと家の中はしいんとなりました。にぎやかな食事や楽しい語らいは彼女から私たちへの素敵な贈り物でした。
2018年7月掲載

No.8


息子が留学に不思議な思い

 厳しい暑さが続きクマゼミがシャンシャンとにぎやかな8月の初めでした。息子がアメリカのネブラスカ州立大学に留学のために出発しました。羽田行きのバス停まで夫婦で見送りました。 1年前には留学できるかどうかもわかりませんでした。そんな息子に私は言いました。「留学しろともするなとも言わない。留学できるかどうかは自分の頑張り次第、努力次第だ。留学の条件がすべて整って、これで大丈夫だと思ったら言いなさい」と。 それから息子はバイトで資金を貯め、成績を上げ、奨学金を申請し、留学の申請をして審査を受けました。 そして去年の暮れに息子から連絡がありました。「お父さん、交換留学生になることができた。授業料は奨学金で免除になったよ」と受話器から弾んだ声が聞こえてきました。私も妻もほっとしました。  バスに乗った息子を見送りながら、1年後にはどんな姿になって戻ってくるのだろうかと期待と不安、そして寂しさともつかない不思議な気持ちを味わいました。
2018年9月掲載

No.9
地域の合唱祭参加 年配男性から熱意

 昨年12月23日にいすみ市でチャリティーコンサートが開かれました。年に一度、音楽家になるこの日を私は楽しみにしていました。
 プログラムには合同合唱隊とハレルヤ合唱隊の合唱があります。これは地域の合唱団が合同で歌うものですが、一般の人も参加することができるので、これに参加する人も多いのです。
 この日も毎年参加している高齢の男性Aさんの姿がありました。しかし、どこか体を悪くしたのでしょうか、楽譜を片手に杖をついて足元を確かめながらゆっくりと歩いて来ました。合唱の段に上がるときには、階段に杖をあて、ゆっくりと足を上げました。黒い靴が小さくふるえていました。私は上から手を差し出して体を支えました。「ありがとう」と目を細めるAさんから歌いたいという熱い思いが伝わってきました。
 さて、ハレルヤの合唱が終わり、観客と一緒に「きよしこの夜」を歌ってコンサートは幕を閉じました。
 私はAさんと一緒にゆっくり歩きながら階段やドアの開閉に手をかしました。「もうここで結構ですよ。ありがとう。」とニコニコしているAさんに「来年も来てくださいよ。」と挨拶をして別れました。
 後片づけを済ませ、来年もAさんが私たちと歌えるようにと祈りながら帰路につきました。
 雨上がりの街には灯りがともり、遠い西の空はかすかに赤く染まっていました。
2019年2月掲載


最近の作品へ
No.10


炎天下の梅干しつくり

 今年も梅干しを作りました。7年前に初めて梅干しを作ってみたところ,味も香りも満足できるものができました。それ以来,毎年,梅干を作っています。
 梅干しを作るのは手間がかかります。一粒ずつ楊枝でヘタをとり,焼酎で洗って殺菌し,塩をふって1か月ほど樽に漬け込みます。我が家では,梅1sに対して130gの食塩を使います。梅酢が上がりきるころになると梅の実を干す時期です。
 梅雨が明けた7月の炎天下に梅の実を並べて干します。黄色かった梅の実がだんだん茶色になってきます。まんべんなく日光があたるようにと何度も梅の実を裏返します。おいしい梅干しになると思うと暑い日差しも苦になりません。
 だんだん梅干しが出来上がってくると酸っぱいよい香りがしてきます。こうして三日ほどすると梅干しが完成します。すっかりシワシワになり,表面は粉のような塩粒におおわれています。一粒とってかじってみると爽やかな香りと酸っぱさが口の中に広がります。
 梅干しは,厳しい夏に負けないための日本人の知恵だと思います。我が家は梅干しで夏を乗り切ります。
2019年8月10日

No.11


哲学と女子プロレス

 1月10日に神田外国語大学に行ってきました。昨年9月から後期の聴講生になっています。
 大学へは,海浜幕張駅を降りてテクノガーデンの中を通り,歩道橋を歩いておよそ15分です。途中のコンビニで弁当を買い,テクノガーデンの中で食べます。
 校内は試験シーズンのせいか,いつもより学生が少なかったです。私が受講しているのは哲学ですが,学生たちと対話しながら進める形態は面白かったですね。ちなみに先生は女性です。
 講義の中で先生がこんな話をしました。

「昨日は女子プロレスを夢中になってみていました。あれ面白いですよね。」

 思わず笑ってしまいました。女性の哲学の先生が女子プロレスが面白いって不思議だなあと思いました。
 馬鹿にしているのではなくて,哲学の先生が女子プロレスが面白いというのがほっこりとして素敵だなと感じたのです。これは無駄話ではなくて,ちゃんと授業と関連した話なのです。
 結局,この日の授業では,この女子プロレスの話が一番心に残りました。デカルトやM-pontyの話は,すっかりかすんでしまいました。  
2020年1月11日

No.12



日の出が作るシルエット

 「アルプスの少女ハイジ」には,ハイジが暮らしていた山小屋の寝床からは星空が見えたと書かれていたように思う。
 我が家は少し高い場所にあり,ベッドから日の出が見えます。東方には太平洋があり,その手前には低い山々連なっている。太陽はこの山越しに昇って来る。青黒い空に少し赤みがさし,それがだんだん赤みを増したかと思うと透き通るようなオレンジ色に変わり,太陽の天辺がちらりと見えて来る。そして見る見るうちにまぶしいオレンジ色の球体になって上昇する。太陽の動きが見えるような速さだ。
 この時,障子がほのかに橙色に染まり,トネリコの大きな影絵できる。この大きな天然の影絵を目にするとハッとする。すごいものを見ているのだなと思わせるほど神秘的だ。 かといって毎日これを見ているわけではない。気の向いたときに時々見るだけだが,それも何かもったいない気がする。
2020年1月18日

No.13
教会に宿泊した大雪の夜

 関東地方では2月から3月にかけて大雪が降ることがある。雪に慣れない地方だけに大雪になれば大混乱になる。
 2015年2月のこと,私は息子と所用で相模原に一泊で出かけた。一日目は天気がよく,あちこちを見て歩いた。ところが二日目は朝から雪だった。まだ歩道に少し積もっているくらいだったが,午後からどんどん激しくなり,用事を終えて帰るころには何十センチも積もるありさまだった。
 これは早く帰らないと大変なことになるぞと私たちは先を急いだ。しかし,町田を過ぎると列車が動かなくなった。動いたり止まったりでなかなか先に進まなかった。
 何とか東京駅に着いたのは20時過ぎだった。東京から千葉へは列車が動いていなかった。夕食をとって何時間も待った。ようやく千葉駅に着いた時には夜中の12時を過ぎていた。ところが千葉から先の外房線が動いていなかった。せっかくここまで来たのにどうしようと困ってしまった。午前0時を過ぎているのに東京方面からは乗客を満載した列車が入ってくる。この人たちもここで足止めだ。
 考えたあげく市川でアパート住まいをしている娘のところに行くことにして市川まで引き返した。
 市川駅に着くころには午前1時を過ぎていた。相変わらず雪は激しく降り続いていた。タクシー乗り場には何十人も並んでいた。みんな雪の中でタクシーを待っていた。タクシーは30分に1台しか来なかった。このままでは自分の番が来るまでに何時間待つことになるのだろうかと思った。傘をさしていてもコートの襟から雪が入り込んできた。手も足も冷たくなってきた。

[雪の中をさまよう]
 娘の住むアパートまでは3kmほどだ。歩こうと思った。歩いて行ったことがなかったので息子を残して道の確認に出かけた。道路には何十センチも雪が積もり,街灯が照らす先は真っ暗闇だった。走る車もなく静寂だった。こんな状況で道に迷ったら命にかかわる。
 200mほど歩くと街灯の下で歩道の雪かきをしている婦人がいた。婦人に道を尋ねると親切に教えてくれた。しかし,不慣れな場所であることと1日の疲れもあってか説明がうまく呑み込めなかった。すでに午前2時を過ぎていた。だんだん不安になった。すると気の毒に思ったのか
「ここに泊っていったらどうですか」
と婦人が言った。
 一瞬,何を言われているのか分からなかった。見ず知らずの人間を泊めてくれるというのはどういうことだろうと思った。視線を上げるとライトに照らされた看板に「三本松教会」という文字が見えた。ここはキリスト教会だった。この婦人は教会の牧師夫人であり朝の礼拝に備えて歩道の雪かきをしていたのだった。
 私は厚意に甘えることにした。それよりほかになかった。そして急いで息子を呼びにもどった。息子は傘をさして降りしきる雪の中にぽつんと立っていた。
「泊るところが見つかったぞ」
と声をかけた。そして三本松教会に向かった。

[教会に迎え入れられて]
 夫人は私たちを快く受け入れてくれた。教会には信者が泊まれる部屋があった。そこに通してくれた。そしてお風呂を用意してくれた。温まって布団に入ったときには3時を過ぎていた。昨日から今日までのことを思い出す間もなく眠りに落ちてしまった。
 目が覚めたのは7時ごろだったろうか。夫人はトーストとスープを用意してくれた。牧師夫妻は朝の礼拝の準備で寝る時間もなく忙しかったに違いない。そんな中に私たちが飛び込んでしまったのだった。
 天気は回復して雪はどんどん溶け始めた。私は礼拝に参加した。広い礼拝堂が二階にあった。驚いたことに正面に大きなパイプオルガンがあった。フランスから取り寄せたものだという。それを信者の方が演奏した。初めてパイプオルガンの荘厳な響きを生で聞いた。オルガンの響きに包まれると昨日からのことが頭の中を駆け巡った。パイプオルガンがいつまでも耳に響き続けた。窓の外では木の葉がキラキラとそよいでいた。
 礼拝後,私たちはこたつに入って夫人と色々なことを話した。夫人は息子が来たことをとても喜んでくれているようだった。牧師夫妻はともに同志社大学で学び,夫人は看護を学んだという。
 昼頃には列車も動き出したので牧師夫妻にお礼を言って三本松教会を出た。私たちは無事に帰宅することができた。そして昨日からの出来事を妻に話した。

 あれから5年の歳月が流れた。雪の夜の光景とともに今でも浮かんでくる言葉がある。
Miracle do exist.
2020年1月24日

No.14


小鳥たちのサザンカ食堂

 寒い1月に生け垣のサザンカが満開になり鮮やかなピンク色で庭がぱっと明るくなります。
 サザンカを目指してメジロ,ヒヨドリ,スズメたちががやって来ます。我が家のサザンカは小鳥たちの食堂なのです。メジロは目の周りに白い輪がある黄緑色をしていてスズメより小柄です。サザンカの枝をちょこちょこと移動しては蜜を吸っています。時々ピーピーときれいな声が聞こえます。
 カメラを向けてもすばしこくてなかなか撮れません。
 ヒヨドリは灰色の大柄な鳥で頬に茶色の斑点があります。バサバサと勢いよく飛んできてサザンカに着陸します。きょろきょろ警戒しながらサザンカの花びらをむしってはパクパクと飲み込ンでいます。人の気配がするとさっと逃げて少し離れたところにとまっています。きっと,もっと食べたいのでしょう。
 スズメたちは群れでやってきて一生懸命地面をつついています。
 食べ物の乏しい冬,サザンカ食堂は小鳥たちでにぎわいます。
2020年1月27日

No.15
ホテルに滞在した武漢からの帰国者

 2020年,新型コロナウィルスが発生した中国湖北省武漢からの帰国者の第1陣が千葉県勝浦市の「勝浦ホテル三日月」に到着した。ここで2週間の経過観察を受けたのは176名だった。
 当社勝浦市内では不安の声も上がった。しかし,ネットやメディアでは同ホテルに対する称賛の声が上がった。風評被害も予想され経営の死活問題にもなりかねない中,同ホテルの英断であった。
 2週間,部屋から出ることもできず,人と接することもできない生活は苦しかっただろう。また,病気が発症するかもしれないという不安も大きかっただろう。ただ淡々と日々を過ごすしかなかった。
 そんななか予想もしなかったことが起こった。地元の子どもたちが砂浜に励ましの言葉を書いたのだ。「もうすこしだからがんばって」と砂浜に箒で大きく書かれた文字を見て励まされたという。さらに後日,夜には竹にともされたろうそくの文字や太鼓による励ましまであった。

[勝浦漁民の歴史]
 不安な生活をしている人たちを励ます地元の人たちの心遣い。こんなことがあるとは思いもしなかった。誰もが不安で気持ちが暗くなっているときだった。どうしてこんなことができたのだろうと考えた。そしてあることに思い当たった。
 勝浦は昔から漁業の町だ。危険な海の漁で助け合って生きてきた。幕末のころ五稜郭制圧に向かった官軍の船(ハーマン号)が川津沖で遭難した。沿岸の住民は総出で救助にあたった。しかし,熊本藩兵とアメリカ人乗組員合わせて230名余りが亡くなった。亡くなった人たちは当地に葬られた。山上に建てられた官軍塚がこの悲劇を今に伝えている。
 勝浦市の隣にある御宿町では,江戸時代にメキシコの船が遭難した。ここでも浜の住民が総出で救助をした。女たちは冷たくなったメキシコ人の体を裸で抱いて温めたという。御宿町とメキシコの交流は今も続いている。
 古より海に生きる人たちから受け継がれている助け合う心が今回の出来事にも現れたのだろうと思った。目には見えない大きなものが受け継がれている,そう考えるに至った。
 ホテルに滞在した人たちは2月13日をもって全員帰宅した。それを従業員や支援する人たちが見送った。
 武漢からの帰国者が「勝浦ホテル三日月」に2週間滞在して帰宅した。ただそれだけのことだったが,私たちの心に残ったものは大きかった。
 2020年2月15日

No.16 


韓国旅行の思い出T

 去年の春,私と妻と長女の3人でソウルの知人を訪れた。親しくしていた牧師の墓参りをするためだった。牧師は奥さんと長く当地大原の教会で働いていたが定年になり韓国に帰っていた。ソウルでも教会活動をしていたが,体を悪くして数年前に亡くなったのだった。私は牧師の墓参りに行ってやりたいとずっと思っていた。それがやっと実現したのだった。
 インチョン空港では息子さんが待っていてくれた。初対面だったが顔つき,声,しぐさが父親にそっくりだったのですぐに分かった。私たちは電車でソウルまで移動した。車中では色々と話し合って打ち解けることができた。
 ソウルの家では奥さんと娘さんが暮らしている。奥さんはもう96歳になる。奥さんと娘さんは私たちの来訪をとても喜んでくれた。
 奥さんは毎日聖書を書き写すのを日課にしている。韓国語で書いたものと日本語で書いたものとがあった。どちらもきれいに書かれていた。
 夕食を近くのレストランでごちそうになった。日本では見たことのない韓国料理がいくつも出てきた。私が気に入ったのはタコのキムチだった。とても辛かったのだがおいしかった。トウガラシを使った辛い味付けが多かったように思うが,どれもおいしかった。韓国の焼酎を飲みながら話がはずんだ。ちなみに会話は日本語だった。皆日本語が上手だったので会話に不自由はなかった。
 この日はソウル市内のホテルに宿泊した。ここで2泊することになっていた。ここでハプニングがあった。妻が南大門市場に行くといって長女と出かけた。しかし,道に迷ってしまい1時間ほどして戻ってきた。暗かったので道がわからなかったようだ。

2020年2月22日

No.17 
韓国旅行の思い出U
[2 日 目]
 二日目は娘さんの案内で墓参りに出かけた。ソウルから高速道路を走って1時間半もかかる場所にあった。山一面が整地されたくさんの墓地が作られていた。そういった山がいくつもあった。牧師の墓地は,そういった山の中腹にあった。日本の墓とは違い大きな墓石はなかった。氏名等を記した石板が置かれているだけの簡素なものだった。私は手を合わせて祈った。「日本から来ましたよ」とつぶやいた。やっと来たという思いだった。皆も一緒に手を合わせて祈った。近辺の墓を見て回ると家族との写真の入った墓石もあった。韓国では墓地が不足していて,この場所を購入するのに1年以上かかったそうだ。
 昼にはソウルにもどった。サンゲタンのおいしい近所の店でごちそうしてくれた。腹の中に朝鮮ニンジンが入った大きな鳥が出された。食べきれるかなと心配になった。でもスープも肉も朝鮮人参もおいしくて全部食べてしまった。長女もおいしいといって全部食べたのには驚いた。店でチジミをサービスしてくれた。
 近所には延世大学という韓国の一流大学がある。そこを案内してもらった。とても広々としていて整頓されていた。小高い雑木林がありベンチが置かれていた。すれ違う学生たちは外国から来た人たちが多かった。正面には創立者の銅像があった。そこから正門までは100メートル以上ありそうだった。私たちが銅像前で記念写真を撮ろうとしていると通りかかった学生が撮りましょうかと声をかけてくれた。アジア系だが韓国人ではなさそうだった。撮影後にとりあえず英語でお礼を言った。彼はにこにこしていた。旅では人との触れ合いが一番心に残るしうれしい。
 次の訪問校は梨花女子大だ。ここも名門校で牧師の奥さんはここの卒業生だ。広々とした入り口を入ると大きな下り階段があった。降りた先には大学の売店があった。ここで梨の花のピンバッジを買った。反対側の階段を上ると学校の建物が並んでいる。花が咲く校内をしばらく散策した。きれいな学校だった。
 墓参りや学校巡りでいささか疲れたので早めにホテルに入った。明日は娘さんがソウル市内を案内してくれることになっていた。
2020年2月22日

No.18 
韓国旅行の思い出V
[3 日 目]
 三日目の朝,自分たちで南大門市場に行ってみようということになった。案内図を見ながら今度は到着できた。南大門は過去に火事で焼失したが再建されている。歩道や交差点にはところどころにベンチがあった。そこで写真を撮ると背景に南大門が入るようになっている。何枚も写真を撮った。朝の時間帯,道行く人たちは忙しそうに歩いていて,私たち旅行者に気をとめる様子はなかった。
 朝早かったので市場はほとんどの店が開いたばかりだった。お土産を物色しながら歩いていると路地の奥の食堂でおばさんがこっちへ来いと手招きをするのが見えた。朝食を終えていたので残念だった。でも次はこういうところで食べてみたい。
 おじいさんが経営する店に入った。おじいさんは「朝早くからよく来てくれた」と言っておまけをくれた。ここでたくさん買った。他の店でお菓子を買って買い物を終了した。今度来たときはもっとゆっくりと買い物をしたり食事をしたりしたいと思った。
 ホテル前で娘さんと待ち合わせて徒歩で市内観光に出かけた。初めに教会に行った教会は小高いところにあり,石造りの大きくて立派なものだった。中に入ると椅子が並ぶ広い会堂があり,天井には大きなステンドグラスがはめ込まれていていた。そこから色とりどりの光が差し込んでいた。
 街中をしばらく歩いた。車やオートバイが行きかい,人々が忙しそうに働いていた。日本の学生らしい人たちも大勢見かけた。皆,土産物ショップに出入りしていた。街の様子や行き交う人々をじかに見ることができた。

 しばらく行くと大漢門の衛兵の交代式に出くわした。赤や黄色の伝統的な衣装を着て丸いつばのある黒い帽子をかぶった衛兵たちが手に"なぎなた"のような武器などを持って整列していた。私たちも人だかりの中で見物した。太鼓や楽器が鳴らされてにぎやかだ。式が終わると観光客が衛兵の脇に立って写真撮影をしていた。私と妻も後ろのほうの衛兵の脇で写真を撮ってもらった。衛兵は瞬きもせず前を見つめたまま動かなかった。そんな様子がとてもよかった。
 娘さんは長女と終始一緒に歩いていた。ナオさん,ナオさんと呼んで話しかけていた。長女の訪問をとても喜んでくれていた。
[日 本 へ]
 昼近くになり,ソウルから去るときが来た。ホテル前からインチョン空港行きの高速バスに乗り娘さんに別れを告げた。
 機内で三日間の出来事をあれこれ思い出した。あまりにもたくさんのことが詰め込まれた三日間だった。眼下には韓国の山々が広がっていた。カムサムニダ ソウル とつぶやいた。成田空港に到着した時には19時を過ぎていた。それから2時間かけて車で帰宅した。

 今回の韓国旅行の目的は,牧師の墓参り,牧師の家族を訪ねる,ソウル市内の見物だった。このすべてを果たすことができた。特に牧師の奥さんはとても喜んでくれた。それで私たちのホテル代を全額だしてくれたのだった。申し訳ないと思ったが好意を無にすることはできず甘えることにした。これが韓国の流儀なのだろうと思った。

 日本と韓国は今政治的にもめている。ネット上には誹謗中傷があふれている。しかし私たち家族は楽しい韓国旅行をしてきた。韓国の人たちの日常の様子は平穏だった。メディアやネットで見聞きするものとは違った。いつか互いに信頼し合えるようになることを願っている。
2020年2月22日

No.19
新型コロナで旅行を中止に

 二月の下旬に妻と富岡製糸場などを訪れるバス旅行を予定していました。久しぶりの旅行だったので楽しみにしていました。
 そんな折,降ってわいたようにコロナウィルスの感染が広がり始めました。
 あちらこちらで感染者が出たというニュースを毎日耳にするようになりました。
 はじめのうちは,すぐに収まるだろうと期待していました。
 ところがおさまるどころか全国的に感染者が出るようになりました。
 これまでに感染者がいなかった県でも感染が発表されるようになりました。内心,困ったことになったと思いました。
 妻がだんだん不安を口にするようになりました。バスの中で感染するのではないかと不安になったのです。
 毎日ハラハラしながらテレビニュースを見ました。せっかくの旅行だから行きたいと私は思っていました。
 しかし,不安な気持ちで行っても楽しくはないだろうと思うようになりました。
 そして一週間前になって旅行をキャンセルしました。気持ちが楽になってすっきりしました。
 その後,感染はさらに拡大し,ますます深刻な状況になりました。
 安倍首相からは,全国の学校を3月2日から臨時休校にするようにとの要請も出されました。
 これでは旅行どころではなかったな,キャンセルしてよかったなと思いました。
 旅行はまたいつか行けばよいのだから,無理をしなくてよかったと思いました。
2020年2月28日

No.20
学校全国一斉臨時休業について

 新型コロナウィルス感染防止対策としていすみ市の小中学校は3月2日から臨時休校となる。安倍首相からの突然の要請だった。
 初めは学校が大変だなと思った。しかし,ものは考えようだと思いなおした。
 臨時休校はたったの2週間だ。授業はほとんど終わっているだろう。
 だから残りは家庭学習にすればよい。来年度にいくらでも補えるのだから余分な心配をせずに割り切ればよいだろう。
 教職員は出勤するが,児童生徒はいないし部活もない。なのでじっくりと仕事ができる環境だ。法定表簿である指導要録の作成やその他の事務処理もゆとりをもって進められるだろう。
 授業時数や出席日数の不足も非常事態だから認められる。何よりも安倍首相が責任を持つと言っているのだから安心だ。
 全国一斉臨時休業はすべての教職員にとって初めて経験する非常事態だが,2週間なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。
 この2週間をうまく活用して,あわてず騒がす粛々と仕事を進めればよいと思う。
2020年2月29日

No.21
お雛様

 妻とお雛様を飾りました。長女が生まれたお祝いに義母が買ってくれた内裏雛です。
 長女は既に社会人ですが,我が家では毎年雛人形を飾ります。
 台に乗せると1年ぶりに見る男雛は凛々しく,女雛は優雅です。
 障子を通った柔らかな光のなかでかすかに微笑んでいるようにも見えました。
 雛人形を飾ると冬が明けた3月の明るく暖かな光を感じます。また,生活の節目にもなります。
 何よりも長女の誕生を喜んでくれた義母の気持ちや私たちの喜びを思い出すのです。
 古来,女の子の健やかな成長を願って行われたひな祭り。 私たちもささやかながら続けています。
2020年3月2日

No.22
「リア充」って何

「リア充って何?」という記事があった。
「リア充」というのは数年前にはよく使われていた若者たちの言葉だ。いろんな答えがあってそれぞれに自分の「リア充」を語っていた。
 しかし,少し違うと思った。「リア充」という言葉の本当の意味は「リアル生活の充実」 ということだ。
 「リアル生活」の反対は「バーチャル生活」だ。ゲーム等でバーチャル世界にのめりこむと大きな充実感・満足感を味わうことができる。自分の生活は充実していると錯覚してしまう。
 一方,現実の生活は疎かになって充実感・満足感が不十分になる。現実の生活の充実が必要だと考えるようになった。こういう人たちから生まれたのが「リア充」だ。
 今では「リア充」「リア重」どっち?と言われている。「リア充」の意味もあいまいになっている。
 さて自分は「リア充」かどうかというと,そもそもバーチャル世界にいないので当てはまらない。常にリアル生活を営んでいる。
 こういった流行語にも生まれた背景がある。そして時とともに失われていく。
2020年3月2日

No.23
コロナ感染拡大と卒業式

新型コロナウィルスの感染が連日報道されています。学校が臨時休校になり子どもたちはみな家で過ごすことになりました。共働きやひとり親の家庭では,子どもたちを一人で家に置いておくわけにはいかず,とても困っています。  さて,家庭の問題もあるのですが,子どもたちにとっての切実な問題は卒業式のことです。私たちの地域では,教職員,卒業生,保護者(各家庭一人)で卒業式を実施することが決まりました。感染拡大防止に協力しつつも最大限に感染防止対策をとったぎりぎりの選択だったと思います。本当によかったと思います。  すべての教職員が経験したことのない困難の中での卒業式の実施です。なによりも子どもたちにとって素晴らしい卒業式となるように祈ります。
2020年3月8日

No.24
ホームページで充実

 昔から芸は身を助けるといわれます。私の場合,ホームページが芸でした。
ホームページを始めて15年になります。インターネットが普及し始めたころでした。ネット上に自分のページを作れると知ってホームページをやって見たくて仕方がありませんでした。
 ホームページを簡単に作れるというサイトがあったのでこわごわ利用してみました。きまった形が用意されていて,それを組み合わせるだけの簡単なものでした。後はそこに文字やら写真やらを載せていけばよかったのです。そうしてどうにか自分のホームページができました。本当にうれしくてワクワクしました。趣味を中心に毎日更新しました。ホームページは生活に欠かせないものになりました。
 ホームページは自分の趣味や考えを発信できるだけでなく,ネットを通じて広い世界につながることができました。
 50代の後半になると職場という狭い世界しか見えなくなりがちでした。退職後をどう生きるかという大きな問題も迫ってきました。そんなこんなで不安になることがありました。しかし,ホームページによってそういった危機から救われました。広い世界に目を向け社会とのかかわりを持つことができたので自信を持つことができました。
 退職後は東京大学の聴講生になって勉強をしました。その体験をホームページで紹介しました。また,自分で書いた道徳教育についての論文を載せたりエッセイも載せたりもしています。ホームページに自分の作品や考えを発表することにより充実感と自信を得ることができました。喜びを感じることができました。
 今ではホームページの内容がとてもふえました。15年もよく続けられたと思います。継続は力なりといいます。継続してホームページという芸を磨いてきたことが,自分を助けてくれているのだと思っています。
 まるでネットの大海原を航海するホームページ号の船長のようだと思うことがあります。
2020年3月10日

No.25
トリアージの必要性

 Covic19(新型コロナウィルス)が世界に広がっています。感染が急激に拡大し死者が増えている国もいくつかあります。日本では,検査を希望してもやってくれないという意見が多く聞かれます。メディアもこのことに対して政府の不備を指摘する声が多いように思います。
 しかし,日本の感染者数,死者数は世界の国々に比して多くはありません。むしろ低く抑えられているように思います。これは日本が当初からトリアージを行って医療を進めてきたためであると思います。
 トリアージとは助かる見込みのある人を優先して治療することです。例えば,大事故の場合,助かる見込みのある人を優先して治療に回します。こうすることによって効率的に治療を行い,できるだけたくさんの命を救おうという考え方です。
 医療の能力には限界があります。不要不急の人を後回しにして医療崩壊を防いでいるのだと思います。Covic19の対処にあたって陽性者・重症者を優先して治療することで多くの命が救われていると思います。
2020年3月12日

No.26
庭にキョンが来た

   一週間ほど前から庭にキョンがくるようになりました。庭の隅にフンが落ちていたので変だと思っていました。今日は,あちこちに臭いフンをしていきました。ハエがぶんぶん集まってきて不衛生でした。
 よく調べると桜の苗の花や枝先がかじられていました。育ってきたエンドウの苗も食われて数が半分に減ってしまいました。フンはここは安全だという目印です。これからはどんどんやってくるだろうと思うと心配でした。
 今までなぜキョンが来なかったのかというと,犬がいたからです。犬のいるところには近づきません。その愛犬は一年半前に死んでしまいました。
 どうしたものかと考えました。一番いいのは柵を作ることです。または,犬を飼うことです。どちらもすぐにはできないので,とりあえずフンをきれいに掃除して,キョンが嫌がるように石灰硫黄合剤を噴霧してみました。
 キョンは周辺の野山にたくさん生息していますが庭に実害があったことはなかったのでびっくりしました。犬のありがたみが分かりました。
※キョンは外来の鹿の仲間で大きさは中型犬くらいです。房総南部に増えていて農作物に大きな被害が出ています。
2020年3月15日

No.27
庭にキョンが来た 2

 昨日は庭をキョンに荒らされて大変困りました。あれからフンを取り除き,臭いの強い石灰硫黄合剤を庭中に噴霧しました。昨夜は,キョンが来ないかと何度も庭を見ました。今朝は,キョンが来た様子はありませんでした。庭には石灰硫黄合剤の匂いが漂っていました。昨日の対策が功を奏したのかなと満足しました。
 それにしても分からないことがあります。愛犬が死んでから一年半になるのに何故かその間にキョンが来なかったのです。あれこれ考えてみると思い当たることがあります。それは庭に設置している浄化槽ポンプです。このポンプのブーンという音を嫌がったのかもしれません。このポンプは寿命を迎えていたので,昨日新くしました。元気な音が出ているので警戒して近寄らなかったとも考えられます。
 近所の家庭菜園にはペットボトルの風車をつけているところもあります。キョンは臆病で音に敏感です。しばらく様子をみたいと思います。
 近年,房総南部ではキョンによる農作物の被害が増えています。他人事とは思えなくなりました。
2020年3月16日

No.28
千本桜

   いすみ市の布施地区では毎年2月の下旬から3月にかけて千本桜祭りが催されます。この祭りは地域活性化のために数年前から始められました。布施の人たちが河津桜の苗を一生懸命に植えました。今では桜が地域中に増えています。
 今年,祭りは新型コロナ騒ぎで中止になりましたが,二月の下旬に行ってきました。川沿いの土手や山の斜面に河津桜がピンクの花を満開に咲かせていました。祭りが中止になったとはいえ見物に来る人たちがたくさんいます。親子,老夫婦,若い男女,みんなゆったりと桜を楽しんでいました。ピンクの花を眺めながら川沿いを歩くと春の香りがしました。様々な憂いを忘れることができたひと時でした。
 地域の人たちで作った千本桜祭り。やがてここが桜の名所となるよう祈ります。
2020年3月17日

No.29
うがいと手洗い

   風邪の予防にはうがいと手洗いが大切と言われています。今,猛威を振るっている新型コロナウィルスの感染予防にもうがいと手洗いが大切だといわれています。ところが,今朝のNHK放送で,うがいに効果あるかどうかは確かめられていない,疑わしいと言っていました。これまでも時々耳にしていたことです。
 若い時だったら「なんだ,効果のないことをやらせるなんて」と間違いなく思ったでしょう。しかし,ふと,そうでもないなと思いました。
 よく考えれば,手洗いとうがいは衛生的な生活を維持するには欠かせません。手洗いで細菌感染を防ぎ,うがいで口内を清潔に保つことは健康を保つのに大切です。うがいと手洗いは一連の行動(ワンセット)ととらえてよいと思います。うがいをしてから手洗いをする,手洗いをしてからうがいをする等,一連の行動と考えればよいのです。だから,ばらばらにしないほうがよいと思うのです。
 特に小さい子どもたちに教えるときには"うがいと手洗い"というようにしたほうがよいのです。一連の行動として身につくからです。うがいは効果がないからやらなくてもいいよとは言いません。どちらも健康を保つためには大切だからです。
 報道内容の受け取り方は人によってまちまちです。肯定的に受け取る人,反感を持つ人,まちまちです。今朝の放送は「うがいしても無駄だよ」と言ったのではないでしょう。新型コロナウィルスの感染予防に役に立たないにしても大事にしたい生活習慣です。
2020年3月19日

No.30
卒業式2020

   新型コロナウィルスの感染予防のために学校の卒業式が縮小されて実施されました。臨時休業になったため卒業生を送る会や友達と名残を惜しむこともできませんでした。そんな中,せめて卒業式だけはと実施されたのでした。縮小されたとはいえ子どもたちにとってはよかったと思います。
 子どものころの卒業式を振り返ってみるとあまり印象が残っていません。どんな卒業式だったのかよく覚えていないのです。あの頃は静かに卒業式を迎え静かに学校を去ったという印象です。特別な感慨はありませんでした。
 卒業式を迎えるにあたり特別なことはありませんでしたが,日々静かに名残を惜しみつつ心の準備していたのかもしれません。
 2020年,華やかな卒業式はなかったけれど,子どもたちは状況を受け入れてそれなりに心の準備をしていたのではないかと思います。よい春を迎えられるようにと祈ります。
2020年3月28日

No.31
語尾に「はですね」をつける話し方

 テレビを見ていて気になることがあります。それは語尾に「〜はですね」をつける話し方です。話の途中に何度も「〜はですね」が入ります。実は私も若いころ「〜はですね」をまねたことがあります。これを使うと大人っぽく感じたし,上手に話せるように思えたからです。それで一時癖になりました。しかし,人が話すのを聞いていて「〜はですね」がたくさん入ると話がブツブツ途切れて気が散ります。
 本人は上手に話していると思っても聞く人は煩わしいと感じるかもしれません。だから私は「〜はですね」を使わずに間をとるようにしています。
2020年3月31日

No.32
恩師がくれた言葉

 「母と父の忘れな草」に「戦争の残り香」を載せました。子どものころ父母から聞いた戦争体験を書いたものです。この作品以外にも書いていますが,随筆をかくことに充実を感じています。随筆を書くようになったのには,あるきっかけがありました。
 かつて同窓会の折に恩師が私に言いました。「〇君が退職後に何をしたらよいのか一生懸命に考えてみたんだが,文筆をするのがいいと思うんだ。」と。
 「文筆だなんて一番苦手なことじゃないか」と内心思いました。これは恩師の直感としか言いようがありません。8年も前のことでした。しかし,今になってみれば文筆に似たようなことをやっています。日々の大切な仕事になっています。
 思いを書くことで自分を保つことができます。社会との関わりを持つことができます。こんなことを恩師は私に伝えたのだと思います。
 「文筆をするのがいいと思うんだ」という言葉の背景には長い人生経験とそこから導かれた深い考えがあったのだと思います。
2020年4月1日

No.33
踏切でパクられたT

 4月6日から4月15日まで春の全国交通安全運動だった。  6日日の午後,用事を済ませていすみ市三門踏切にさしかかった。踏み切り手前で一台停止していたので後ろについた。そしてその車に続いて踏切を渡った。狭い踏切なので急いで渡りたかった。その時何か胸騒ぎがした。20メートほど走ってバックミラーで確認すると赤色灯が点滅したパトカーがついてくるではないか。何やら言っている。やられたと思った。踏切の一時停止取り締まりに引っかかったのだ。
やがて警察官が来た。
「踏切で一時停止しましたか」
「前の車に続いて渡りました」
「それじゃダメです」と警察官は私をにらみつけた。
「免許証を見せていただけますか」
「職業は会社員ですか」
「無職です」
ゴールド免許を見せると少し態度が変わった。
「3点減点です。ゴールド免許なので3か月無事故無違反であれば減点は消えますが,次の更新ではブルーになります」と言って警察官は書類を作りに車に戻った。
その間外でパトカーを眺めた。トヨタ・クラウンで袖ケ浦ナンバーの所轄警だった。車内では二人の警察官が何か話しながら書類を作っていた。そしてやがて出てきて言った。
「住所と電話番号を書いてください。ここに左手親指で捺印してください。反則金9000円を4月16日までに郵便局か銀行で収めてください。期間が短いので注意してください。」
「ゴールドでなくなってしまうのか。残念だなあ。」と気持ちが声になった。警察官は一度ちらりとこちらを見たきりまた書類に目をやった。
 この人たちはロボットと同じだ。違反を見つけ反則切符を切り反則金を請求する端末だ。私はただの違反者にしか映らないのだ。しかし,この人たちも家庭ではよいお父さんなのだろうと思いながら冷静に見ていた。手続きが終わり解放されたが,また嫌な気持ち後が残った。
 私の父も兄も警察官だった。だから警察には協力しようという気持ちが強かった。しかし,大人になってからの警察との関わりには碌な思い出がなかった。相次ぐ警察官の不祥事,自白強要による冤罪なども負のスパイラルとなっていつしか警察に対する信頼がなくなった。警察を信用しているととんでもないことになるとすら思うようになった。
 切符を切った警察官を恨む気持ちは毛頭ないが,春の全国交通安全運動の初日にロボットの餌食になってしまったのは残念だった。何の意味もないことをしてくれたと思った。
2020年4月8日

No.34
踏切でパクられたU

 前作では踏切一時停止違反でパクられたことを書きました.今回はその後日談です。 取り締まりをするには隠れ見ている場所が必要です。それを確認しに行ってきました。すると踏み切り手前に民家の通路がありました。そこに隠れていれば通る車からは見えません。しかも踏切を渡る車がよく見えます。ここだと確信しました。写真も撮ってきました。ついでに近隣の踏切も調べてきました。
 千葉県いすみ市では一時停止違反の取り締まりをよくやっています。無事故無違反で15年もやってきましたが,いつどこでつまらないパクリに合うか分かりません。本当に無益だと感じました。最近は対向車も教えてくれなくなったので,今後は警察対策に力を入れなくてはと真剣に考えました。
2020年4月9日

No.35
新型コロナ緊急事態宣言

 安倍総理大臣が緊急事態宣言を発出しました。新型コロナ感染の首都圏での急激な拡大によるものです。
 ちまたでは,遅い手遅れだとか,強制力がないのだから意味がないとか批判が出ています。まあ,これはいつものことです。
 しかし,本当に手遅れでしょうか,無意味でしょうか。遅くはないでしょう。無意味ではないでしょう。強制力がないにもかかわらず多くの人たちは要請を守っています。改めて日本という国のすばらしさを感じます。メディアからは海外のリーダーはすごいとか,どの国のやり方が優れている,それに比べて日本はだめだとか,ネガティブ報道が流れています。自分の行動に自信を持てない日本人の特性なのでしょう。
 民主主義国家である日本は,たった一人の神がかり的なリーダーに頼ろうとするのではなく,政府も国民も一致団結して困難を乗り切るべきであると思うのです。
2020年4月10日

No.36
新型コロナ感染拡大

 新型コロナウィルスの感染が拡大中です。東京では毎日200人近くが感染しています。病院や施設での集団感染も発生しています。こうなってくると一層真剣に予防策をとらないといけないと思います。
 家は房総の田舎町で感染者はいないのですが,観光客がたくさん通過するのでいつ持ち込まれるかと心配です。一人一人が気を付ける意外に積極的な対策はありません。手洗いをし不要不急の外出を控えています。
2020年4月13日

No.37
安倍のマスク

 全国民に布マスクが二枚配布されます。買い占めのせいもあって使い捨てマスクが手に入らないのです。今日は路上でマスク一箱50枚入りが6000円で売られていたとの報道もありました。マスクはなかなか手に入りません。それで我が家では手製の布マスクを使っています。
 この頃,手製マスクをしている人を見かけるようになりました。東京都知事の小池さんのマスクもハート柄がかわいいと評判になりました。工夫次第で何とかなるものですね。
 ところで政府が配布するマスクですが「安倍のマスク」と揶揄されています。ネット上では,こんなものいらない,役に立たないという意見が見られます。
 しかし,本当にそうでしょうか,私はそうは思いません。世の中にはマスクを2枚買うのにもためらう人がいるのです。今日明日を生きるためにためらう人がいると思うのです。いらない人は必要としている人にあげればよいでしょう。
 マスク二枚の値段は安いものです。しかし,これが助けになる人がいるでしょう。私は安倍のマスクを十分に活用したいと思います。
2020年4月17日

No.38
ノストラダムスの大予言T

 これは楽天ブログに載せたものを一部書き直したものです。
 1973年ころノストラダムスの大予言という本が出ました。これは3巻出版されました。大学生だった私は,この不思議な本を読みました。1999年の第7の月に恐怖の大王が降ってくると終末を予言したものでした。
 1999年には何事もなかったのですが,それからさらに20年がたちました。この本が出た当時からすれば,私は50年後の未来を見ていることになります。改めてこの本を読みなおしてみると50年後の世界の様子と比べることができました。このことかなと思うようなこともいくつかありました。
 大予言によればノストラダムスは人類の滅亡を予言しています。人類の滅亡はキリスト教の聖書「黙示録」にも書かれており妙に符合する部分があります。
 1999年第7の月というのは終わりの直前というほどの意味であろうと私は解釈します。終わりの直前には予言に書かれているような様々なことが起こりますよ,と言うほどのことでしょう。面白いことがあったらまた書きます。
2020年4月19日

No.39
ノストラダムスの大予言U

 前回はノストラダムスの大予言により人類の滅亡が予言されていることについて書きました。
「1999の年,第7の月
空から恐怖の大王が降ってくるだろう
アンゴモルワの大王を復活させるために
その前後の期間,マルスは幸福の名のもとに支配するだろう」
 恐怖の大王とは何だろうか。いろいろ想像されました。隕石だとか,核ミサイルだとか。
 では,ノストラダムス自身はどう言っていたのかを「ノストラダムスの大予言U」の中から拾ってみました。
 恐怖の大王とはどういうものかと王妃に尋ねられたノストラダムスが答えています。
「分かりませぬ。姿は見えませぬ。しかし,誤解なさいませぬよう。幽霊とかいう意味ではありませぬ。姿そのものはあるのかもしれませぬ。しかし見えないのです。おそらくそれは非常に高い空の上におり,目にもとまらぬ速さで降ってくるのでしょう。そのためか,それだけはわたくしにも見えませんでした。」
 恐怖の大王が降った後のありさまを聞かれるとこう答えた。
「すべてが変わり果てておりました。信じられぬような未来の都や街々も,男とも女とも分からぬ人々も」
 戦いによって滅びたのか剣とか火とか騎兵隊とかと聞かれるとこう答えた。
「そのいずれでもありませぬ。しいて申せば,さよう,何でもないものでした,何でもないものが降るのです。それが恐怖の大王です。それによってすべては消え,失われ,元の形をとどめなくなるのです。」
 恐怖の大王の正体は何でもないものが降ることだと言っています。目には見えないとも言っています。ノストラダムスの大予言の出版から50年後の未来にいても何のことなのか分かりません。また面白いことを見つけたら書きます。
2020年4月22日

No.40
マイナンバーカード

 マイナンバーカードを作るために市役所の窓口に並ぶ人が増えているそうです。 理由は,新型コロナ対策給付金を申請するにあたりマイナンバーカードがあるとオンラインで申請ができるうえに給付も速いからです。
 私は既にマイナンバーカードをもっています。2月の初めにオンラインでマイナンバーカードを申請しました。必要事項を記入し写真データを送りました。2月20日過ぎには市役所で受け取ることができました。予定日は2月末日でしたから予定よりも早く来ました。その時にはこのような利用機会が来るとは思ってもいませんでした。市役所から給付金申請の通知が来たらすぐにオンライン申請をしようと思います。この給付金で助かる人も多いと思います。
2020年4月24日

No.41
ノストラダムスの大予言V

 これはブログに掲載したものです。
 前回は恐怖の大王の詩について書きました。恐怖の大王の詩はノストラダムスの大予言の中で最も衝撃的なものですが,ほかにも気になる文言があります。50年前には分からなかったことがあるかもしれません。
 著者の五島勉氏によると予言の中に「Chyren」シーレンという名が何度も登場するそうです。彼はこれを「字謎」アナグラムと考えてヘンリーCと解釈しました。「彼の声と賞讃が多くの空を超えて伝わる」
 五島氏によるとヘンリーCはヒトラー以上の最凶の独裁者にのし上がり,欧米あるいは西側の自由国家群のほとんどを新しい全体主義・軍国主義・ファシズムの地獄に叩き込んでしまうと言うのです。
 そうなるまでに「大きなドイツの首長」が必死に抵抗するが「たちまち流血のうちに敗れる」と言っています。
 五島氏はまた,ヘンリーCを組織と考えた場合には「新EC」とみることもでき,巨大な全体主義ヨーロッパを築き上げるのだろうとの解釈も示しています。
 ヘンリーCと新EU等,50年前にはなかったが今当てはまるものとしてはヘンリー・チャールズ(ヘンリー王子),EU,インターネット,衛星通信などがあります。
 終末間近になるとこのようなことが起こるということです。また何か見つけたら書きます。
2020年4月26日

No.42
サクランボの苗

 新型コロナの感染者が何人だった,死者が何人だったというニュースが流れ,世相も荒んでいるこの頃です。
 居間からは,昨年植えたサクランボの苗の葉が風にゆれているのが見えます。小さな子が笑っているようにも見えます。
「私はここにいるよ。元気だよ。」とでも言っているように。
 以前は,植物にそんな感情を感じることはありませんでした。植物にも感情があるのかな,それとも自分が年老いたのだろうか。
 それはともかく,木々の新緑は明るく,小鳥の声があちこちから聞こえてきて気持ちのよい初夏です。
2020年4月30日

No.43
ノストラダムスの大予言W
「大きな東洋人」

 前回はノストラダムスの大予言に出てくるシーレンという男のことを書きました。これについて補足します。
「巨大なシーラン(シーレン)が世界の指導者になるだろう/とても愛された後,それ以上に恐れられ警戒される。/彼の声と讃辞は多くの空を超えて伝わる/大きな勝利者のタイトルによってしか,彼はけして満足しない」
 このほかにも興味深い箇所があるので拾いました。後藤氏の本の中では要約として書かれています。以下,そのまま書きます。
「大きな東洋人」
 「アンリ二世への手紙の中にある。週末の直前に,巨大な人口を持った大きな東洋人が,その周辺全部を従える。中東・ヨーロッパに進攻する。ヘルメスの国もその影響を免れない。―――これが中国を指していることは,ほとんど確実といっていいだろう」「日の国はメルキュールによってエクリプス(欠乏,失墜,日食)をかくす/第二の空にしか置かれない・・・」
 「メルキュールはローマ神話のマーキュリー,つまりギリシャ神話のヘルメスと同じこと。水星,商業,お金,コミュニケ―ション,情報をさす。」
 「大きな東洋人」として現在考えられるのは軍備を急速に拡大している国,「一帯一路構想」を打ち出した国,アフリカや南米を経済的に支配している国の人だと思います。この国は,周辺諸国(ベトナム,フィリピン,韓国,日本)を脅かしています。思いたる名前は「シー〇〇〇ン」〇はそれぞれジ・ン・ピです。あとは想像してください。
 ところで,今話題の新型コロナのことや三陸大津波のことはありません。地震については,アジアの果ての国に大地震が起こるというくらいの記述しかありません。予言において日本は重要視されていないようです。興味深いことを見つけたらまた書きます。
2020年5月3日

No.44
ノストラダムスの大予言X
仮説 恐怖の大王

 仮説 恐怖の大王とは
今回はシーレンと恐怖の大王についての仮説を立てました。
 まず,シーレンはシージンピン(習近平:中国の指導者)であろうと思います。彼の一帯一路構想は世界に好意的に受け止められ多くの賛同国(者)を得ました。ノストラダムスはヒトラーと思われる人物をヒスターと書いたりもしています。
 問題は,「恐怖の大王が空から降ってくる」とは何かです。私は,現時点では世界中を恐怖に陥れている新型コロナウィルス感染拡大のことであろうと思います。この感染症は中国武漢のコウモリが原因であるといわれています。つまり空を飛ぶコウモリの糞から感染が広がったのではないかと思うのです。これが空から降ってくる恐怖の大王の正体だと思います。世界の都市は封鎖により様子が一変しました。ただし物理的な破壊はないのでこの点は一致しません。
 今回の新型コロナ問題は中国の責任だとして賠償を求める動きがアメリカ,イギリス,フランス,ドイツ,イタリアなどから出ています。中国はこれに強く反発しています。これが大きな対立を生むかもしれません。
 恐怖の大王の詩は不気味で衝撃的であるために何かとんでもないものを想像しましたが,空を飛ぶコウモリが落とす糞だとすればノストラダムスが言うように実に何でもないものが降ることになります。
 ちょっと視点を変えて生物学的に考えてみました。しかし間違いだとすればまだ起こっていない何かでしょう。また何か見つけたら書きます。
2020年5月4日

 
No.45
自粛警察というメンタルウィルス

 自粛警察とは外出自粛要請・営業自粛に伴って現れた新語です。外出している人たちや営業を続ける店を怪(け)しからんといって非難(責める)行為です。警察に訴えたり非難の張り紙をしたりといった嫌がらせもあるようです。戦争中の相互監視社会のようで嫌なものです。
 新型コロナの感染防止から要請された活動自粛ですが,過剰に反応する人たちが出てきたようです。
 ある漁港では岸壁を封鎖して釣り人が入らないようにしたそうです。訴えがあったとも考えられます。
 妙なことですが,今度は自粛警察というメンタルウィルスが感染拡大しているようです。冷静に考えて行動することが大事だと思います。
2020年5月6日

No.46
学生への緊急支援

 早稲田大学が困窮する学生に対する緊急支援金に対する新たなるコメントを発表しました。 経済的に困窮している学生を対象に次の支援を実施する。
・一人10万円を支給する。
・オンライン授業受講のために500台のパソコンとWiFiを無償貸与する ・既存の奨学金等の支援
 大学は次のように言っています。 ・大隈重信が掲げた建学の精神「模範的国民の造就」には「早大生には自己利益だけを考えず,世界の人々のために貢献してもらいたい」という願いと「利他の精神を培う」という期待がある。
・一人も取り残さない。(SDGsの理念)
・学生が経済的理由で学業をあきらめて退学しないようにと願い,複数の経済的支援策を決定した。
・家計に急激な変化が生じていない学生には,大学が困窮した学生を救うために多くの支援策を打ち出すことを温かく見守っていただきたい。

 このコメントに感心しました。困窮する学生たちを退学の危機から救おうと緊急支援策を打ち出した大学を見たのは初めてだからです。
「あきらめるなよ。この手につかまれ」と手を差し出しているのです。
 このような動きは他の大学にも広がっています。学生たちがコロナ禍を乗り切れるようにと祈ります。
2020年5月8日

No.47
エビデンス

 あるテレビ番組でフェイクニュースについての討論がありました。その中で「エビデンスのないものは信じないようにすること」と言っていました。全くその通りだと思いました。
 ところで「エビデンスってどういう意味なの」と思った方もおられるでしょう。日本語では「証拠」という意味です。子どもからお年寄りまで多くの人たちが視聴するのですから,「証拠」とはっきり言ったほうが多くの方に分かりやすいと思います。
 この頃,英語がそのまま使われることが多くなったように思います。はて,どういう意味だったかなと思うこともしばしばです。日本語に訳されていないものは仕方ありませんが,できるだけ日本語で言ってくれたほうが分かりやすくてよいと思いました。
2020年5月9日

No.48
おうち時間

 新型コロナによる外出自粛で家にいる時間が多くなりました。
億劫で手を付けなかったことができました。
・ホームページ(ハスラー125)を作り直して訪問者が見やすくしました。
・オートバイのパンク修理とバッテリー充電をしました。
・朝顔の種を巻きました。プランターを6つ使い,6種類の種をまきました。
・妻はせっせとマスクを作りました。
・かぼちゃの苗を植えました。
 きっと誰もが工夫して過ごしたことと思います。人生でこんなことはもうないでしょうね。
2020年5月14日

No.49
岩田豊雄「海軍」

 岩田豊雄著「海軍」の記事を読んだ折に投稿したコメントです。
 「50年前18歳の時に読みました。鹿児島での少年時代のこと,与次郎が浜のこと,そして海軍兵学校時代の出来事や気持ちなどが谷真人を通していきいきと描かれており,親しみをもって新鮮な気持ちで読みました。千葉県人ですが,鹿児島に親しみを感じるのもこの小説の影響だと思います。谷真人は特殊潜航艇で真珠湾攻撃に参加し戦死しましたが,軍神としての盛大な葬列,膝に血をにじませてそれを見送る幼なじみの女性,そこに寂しさと同時に戦争に対する複雑な思いを抱きました。」
 受験勉強の合間に読みましたがとても印象に残っています。
2020年5月16日

No.50
母とくらせば

 2016年に映画「母とくらせば」見た時のコメントです。
 長崎の原爆で亡くなった大学生の息子が,死から3年後に母のもとに現れるという話でした。
 息子は生前と変わらぬ様子でよくしゃべる。母はそんな息子をおしゃべりだという。母は3年間の様々な思いを息子に語り,息子も自分の思いを語る。吉永小百合さんと二宮さんの演技がとてもよかったです。特に吉永さんでなければこの映画はできないだろうと思えるくらいでした。
 直接に戦争の悲惨さを表現してはいないが,亡霊でも息子の出現に対して喜ぶ母の姿や会話の中に十分に表現されていると思いました。
 南方で戦死した長男が,母の夢枕に立つシーンがありました。泥にまみれ傷だらけになり血を流しボロボロの服を着て現れたのです。母に挨拶をすると再び戦場の闇に消えていきました。山田洋二監督の特別な思いを感じました。
 この映画で最も印象に残ったシーンがあります。寝ている母に向かってもう来ることができないと告げて去ろうとした息子がふと振りかえって戻り,母に話しかけます。母は目を開けて「まだいたのかい」と答えます。息子は母に言います。お母さん,これから僕の世界に行くんだよ。これからはずっと一緒だよと。母は起き上がり息子と一緒に歩き始めます。背後には横たわる母の姿がありました。私はこのシーンがとても心に残りました。
 何度か長崎カトリック教会の讃美歌や礼拝の様子がありました。悲しい物語の中で気持ちが安らぎました。根底には,キリスト教の精神(信仰)が流れています。戦争の悲惨さを人々の気持ちで描いている映画だと思います。そして悲しさに対して神の救いによる喜びの対比をもって。
 私は長崎を訪れたことがありません。歴史の中でたくさんの人たちが亡くなったこの地に足を踏み入れるのが怖かったのです。しかし,いつかいってみようと思いました。亡くなられた多くの方々のご冥福を祈りつつ。
2020年5月16日

No.51
永遠のゼロ

 2014年に見た映画でブログに掲載したコメントです。
 「永遠のゼロ」を見ました。ゼロ戦パイロットであった伯父の過去を調べた青年の葛藤を描いています。
 この映画の見どころは、戦闘機、空中戦、航空母艦、戦艦、その他の映像が精密に再現されていることです。CG技術が優れていることは、もちろんですが、地上での機体や操縦席付近の製作物も精密に再現されていて本物のようです。
 もう一つ特筆すべきことは、ゼロ戦のエンジン音です。レシプロエンジンの音がよく再現されています。近づいてくる音,遠ざかる音,旋回中の音等,このエンジン音が、空中戦の様子をとてもリアルにしています。ムスタングP-51の機銃発射と同時に翼下にばらばらと排出される薬莢や薬莢どうしがぶつかる音まで再現されています。これらの映像が、物語を現実味のある引き締まったものにしています。
 物語は、決して戦争を美化するものではありません。また、戦争映画ではありません。
 最後でこんな場面がありました。歩道橋を歩く青年に向かって一機のゼロ戦が飛来しました。風防の開いた操縦席からパイロットが手を振りながら飛びさりました。青年は大声をあげて泣きました。この映画で一番感動した場面です。興味ある方は映画をご覧ください。
 追記  映画から再認識したことですが、日本は、自力で欧米と戦った経験があるアジアで唯一の国です。今となれば非常に貴重(重要)な経験です。歴史に善悪はありません。あるのは事実のみです。それを未来にどう生かすかが大切だと思います。
2020年5月17日

No.52
コロナ自粛とHP訪問者減少について

   ホームページの訪問者数が減ったことについてコロナ自粛との関連を考えてみました。というのも4月に入ってから訪問者が極端に少なくなりました。何日もゼロということが多くなりました。なぜだろうと悩みました。そこで仮説を立てて考えてみました。

仮説1 ネットカフェの自粛により閲覧者がいなくなった。
仮説2 内容が面白くなくて飽きられた。

仮説1について
 自粛が解除されネットカフェが使われるようになれば訪問者が増えるだろう。
仮説2について
 魅力ある内容を考える。

仮説1については待つしかありません。どうなるか注目しています。
仮説2については,仮説1が外れた場合に有力です。

 どちらにしても内容の工夫は必要ですから,いまも更新は続けています。
 ホームページの閲覧者数にも新型コロナの影響があるのかもしれません。感染者数がかなり減ってきました。早く平常な日常生活に戻るとよいと思います。
2020年5月18日

No.53
伊藤の大山

 標高245.8mの伊藤の大山は夷隅郡大多喜町の外れに位置するこの辺りでは一番高い山です。第二次世界大戦中には東京を爆撃したB29が墜落しています。今では山の尾根沿いに舗装された道が通っています。昔は未舗装の細い山道だったと思います。
 新型コロナの影響で外出自粛が続くさなかですが,好天に誘われて伊藤の大山にやって来ました。頂上付近までは車で行けます。途中にはすれ違うことのできない細い道があるのでひやひやしました。頂上付近の道路わきに車を止め,一安心です。
 早速道沿いを散策しました。木々の葉の緑が濃くなって初夏の様相です。細かな毛が密生した茶色い若葉が目に映りました。触ってみるとビロードのような感触でした。
 西側に向かって開けた場所からは横浜のビル群が見えるのですが,この日は灰色に霞んでいて見えませんでした。
 道端に目をやりながら歩くと見たことのない草が目に留まりました。幅広い楕円形で先が細くなっている葉が十字型についていてその根元から伸びた二本の触角のような穂には白い粒のような花が並んでいました。フタリシヅカだと思いました。図鑑で見た覚えがありました。早速写真を撮りました。
 木陰から電波塔の先端が見えました。山頂には千葉テレビの電波塔があります。一番高い場所なのですが周囲が木立に囲まれていて見通しが悪いのです。
 中学生の時の全校徒歩遠足できた時には山頂には何もなくて周辺の町や遠くの太平洋まで見渡すことができたので残念です。
 40分ほど散策して下山しました。山道の途中にカフェの看板を見つけました。どんなカフェだろうと想像が膨らみました。次は家族とここに入ってみたいと思いました。
 家にこもりがちだった日々,深山の空気を吸い,静けさに浸りました。すがすがしい気分になって家に戻りました。
2020年5月19日

No.54
DCブースター(DC‐DCコンバーター)

 おうち時間を活用してバイクのスピードメーターを交換することにしました。購入したスピードメーターは12v仕様です。私のバイクは6v仕様なので12v仕様のスピードメーターではバックライトが点灯しません。これでは夜に不便です。
 そこでDCブースターを使って6v仕様の私のバイクで12v仕様スピードメーターを使えるようにする実験をしてみました。
 DCブースターとは低い電圧を高くできる装置です。例えば6vを12vに上げることができます。
 まず6vを12vにできるか試してみました。乾電池で6v電源を作って入力すると本当に12vになりました。。スピードメーターにつないでみるとバックライトが明るく点灯しました。メーターに一緒についているLEDインジケーターは6vでも点灯しました。
 実験は大成功だったのでDCブースターをバイクに取り付けることにしました。
 このDCブースターユニットは5vを40vくらいまで可変で昇圧できるので,いろいろな便利な使い方ができそうです。
 今までやりたいと思いながらも手を付けられずにいたことができました。
2020年5月30日
 
No.55
自分でやれば安上がり

 充電式ドリルドライバーを使おうとしたところ動きません。調べたところ内部の充電池がだめになっていました。機種が古く充電池はすでに発売中止でした。そこで自分で直すことにしました。
 ネットに同機種の修理記事があったので代わりに使える充電池の種類が分かりました。早速4個1000円で購入しました。
 まず内部を写真に撮っておきます。次に写真を見ながら間違えないように電池をつなぎます。この時,電極を紙やすりで磨いておくとハンダ付けが簡単にできます。磨いておかないとハンダが乗りません。
 ようやく配線が終わり,ケースに収めました。スイッチを入れるとグイーンとモーターが回りました。成功です。これでまた使えます。一時は捨てようかとも思ったのですが,使いやすかったしもったいなかったので自分で修理することにしました。自分でやれば安上がりです。 データは次のとおりです。
機種:ナショナル EZT140 充電式ドリルドライバー 
充電池:SCサイズ NiCd(ニッカド) KR2000SC
購入元:秋月電子通商 通販センター
2020年5月31日

No.56
登校再開

 朝,表がにぎやかなので何だろうとのぞいてみると中学生たちの登校でした。学校登校が再開したのです。
 衣替えをしたワイシャツ姿で長い休みの後にもかかわらず皆にこにこと話しながら歩いています。中学生の登校を見るのは久しぶりです。ひっそりとしていた町がにぎやかになりました。
 いつもなら4月にだぶだぶの制服を着て登校する新入生も夏服です。
 11時半ごろになると再び話し声が聞こえてきました。今度は下校の集団が来ました。まだ給食が始まっていません。給食は6月4日(木)に再開です。部活動も当分はないでしょう。
 何十年も当たり前のように続いてきた教育ですが,コロナ禍が教育を見直すきっかけになったように思います。
2020年6月1日

No.57
ビワの実

 畑にビワの木がある。植えてから20年になるだろうか。今年は豊作で黄色い実がたわわにつけている。何日もかけて草刈りしているうちにだんだん実が熟して来た。
 梅雨入りが近いので草刈りを急いでいる。しかし日差しが強くて暑い。1時間ほどやっては休む。目を上げるとビワの木が目に入った。黄色いビワの実が食べてくれと言っているようだった。良さそうなのを一つもいだ。皮をむいて黄色い実をかじると果汁がぽたぽた滴った。ビワの香りと甘酸っぱい味が口中に広がった。おいしかった。何個か食べるうちに喉の渇きがおさまった。
 草刈りの合間にビワの実を食べて一休みした素敵な時間だった。土曜日には実をもぎに来よう。たくさん実をつけたから採りに来ておくれよとでも言うように枝が風にゆれた。
2020年6月3日

No.58
梅干し・梅酒つくり

 梅干しを作り始めてから8年ほどになります。作り方は同じですが,今年も作るぞという気持ちで取りかかります。
 まず梅の実集めから始まります。知り合いのお寺からもらった梅と畑にある梅の木から採った梅を使います。今年の梅の量は約6kgです。
 実を水洗いしてからヘタをくしで取ります。次に焼酎で洗って殺菌します。これを実の重さの13%の量の食塩にまぶしてビニール袋に入れます。それを樽に入れ10kgの重しをのせて保存します。こうして梅雨の開ける7月まで待ちます。毎日梅の様子を見ては楽しみに待ちます。
 梅干しのほかに梅酒も作ります。材料は梅の実,氷砂糖,焼酎です。梅酒になるまでにおよそ1年かかります。液が琥珀色になると出来上がりです。時間がかかりますがおいしい梅酒になります
2020年6月7日

No.59
旧車ハスラー125(1)

 ハスラー125は1970年代の125cc?のオフロードバイクです。発売から50年たち,今はもう見かけることはありません。
 19歳の時からバイクに乗り続けてきました。ずっと4ストロークに乗ってきましたが最後に2ストロークに乗ってみたいと思いました。
 いろいろ物色した結果,1970年代のバイク,ハスラー125のレストア車を石川県で見つけ早速購入しました。運送代に5万円かかりました。
 到着した車は新品のようにピカピカでした。ねじ1本に至るまで新しいものに交換されていました。特にフロントフォークはステンレスパイプで作り直されていてさび一つありません。電装関係も正常でした。
 しかし,外見はピカピカでも中身は古いままです。点火時期やキャブの調整が必要になりました。2ストロークは初めてであったし,新車の状態も知らないので一つ一つが手探りになりました。
 本日はここまでにします。
2020年6月9日

No.60
旧車ハスラー125(2)

 まず悩まされたのが始動性の悪さでした。これまで乗ってきた4ストはみな1〜2回のキックでかかったものです。しかしこのハスラーはどういうわけか20回くらいキックすることがありました。?それから何年も始動性の改善に取り組むことになりました。
 原因の1つ目は2ストの始動方法を知らなかったことです。勝手に2ストはかかりやすいと思い込んでいたのでチョークを使わなかったことです。しかし実際にはチョークを使ってもかかりませんでした。?よけいにかかりにくくなるようでした。
 原因の2つ目は点火時期がかなり遅れていたことです。これはタイミングライトを作ってから分かったことです。タイミングライトを使って何度も試行錯誤して分かりました。今ならこの点火時期では無理だとわかります。びっくりするほど遅れていました。
 原因の3つ目は点火時期の位置を間違えていたことです。昔中学校の技術科の教科書に圧縮上死点で点火するという図があったのを覚えていてその通りにしました。これでもエンジンはかかるしアイドリングもします。しかし,パワーが出ません。それでもこの状態で乗っていました。新車の状態を知らないのですから,こんなものかと思っていました。しかし,もう一つ決定的な原因がありました。
 今日はここまでにします。
2020年6月10日

No.61
旧車ハスラー125(3)

 前回は点火時期調整の話でした。
 点火時期の調整はフライホイールの隙間からドライバーを差し込んで身をかがめて行わなければならないので大変骨が折れます。ポイントの隙間を大きくすると点火が早くなり,小さくすると遅くなります。何度もやり直しをしていた時,キックすると勢いよくエンジンがかかり,アイドリングが1000回転も上がりました。これはエンジンの調子がよい証拠です。タイミングライトで見るといつもよりずっと早い地点で点火していました。ここに印をつけました。?試走すると力強く吹け上がり高速がぐんぐんのびました。生き返ったような感じです。
 第4の原因は点火時期が適正でなかったことでした。エンジンが高速で回転するにつれ点火時期を早めなければ点火が追い付かなくなるので点火時期を早目に設定する必要があったのです。これを自動で行うものもあるのですがハスラーは固定式です。今は圧縮上死点から9度はやめています。
 仕組みが簡単な2ストロークエンジンはきっちり調整しないと本来の性能が発揮できないことがわかりました。
 このほかにも修理・改良をしましたが,今日はここまでにします。
2020年6月11日

No.62
安倍のマスクが届いた

 数日前にに安倍のマスクが届きました。ついに来たかと思いました。
 マスクは普通の布マスクです。2枚入っています。暑い季節のなってきたことと使い捨てマスクが足りていることもあり,これはしまっておこうと思います。
 ところでニュースではマスクのサイズが小さいと耳にします。私はずっと以前から布マスクを使用してきた経験から言うと決して小さいことはなくこれが標準です。使い捨てマスクは広がるので顔半分を覆いますが,布マスクではそういうものはありません。また,布マスクは洗うと少し縮みます。そしてだんだん古びてきます。しかし,布マスクには肌触りがよく温かいという良さがあります。
 こんなマスクに大金をかけて無駄遣いだという批判があります。しかし,あながちそうでもないように思います。マスクがなくてみんなが苦労していた時,マスクをみんなに配ろうじゃないかと考えたことは間違いではないと思うのです。このマスクを生かすも殺すも人次第です。次の機会まで大切にとっておこうと思います。
2020年6月13日

No.63
尖閣を奪取しようとする中国

 ネットの記事に尖閣を奪取する中国のシナリオというのがあったのでコメントしてみました。以下。
 「恐らくトランプは落選してアメリカはしばらくごたごたするだろう。新政権は中国に遠慮するだろうとの読みがあるに違いないと思う。ところで尖閣では最近中国が我が物顔にふるまって日本の漁船を追い回したりしている。こういった挑発は日本の武力行動を引き出して局地戦をはじめようとしているように思える。これは中国のシナリオの第一歩だな。すでに始まっているとみるがね。」
 中国軍(敢えて軍と言います)の尖閣での行動は以前とは違ってきました。あからさまに尖閣は中国の領海だとふるまって日本の漁船を追いかけまわしています。ここで日本に武力攻撃をさせ,局地戦におびき出そうという作戦であるように思えます。そして一気に尖閣を占領する計画のように思います。一旦占領すれば中国軍は武力を背景にして絶対に動かないでしょう。そしてそのまま中国の領土になります。
 日本は尖閣での中国の動きを世界に発信して中国の動きを牽制することが賢明であると思います。
2020年6月17日

No.64
緒方惟精先生の思い出

 もう50年ほど前のことになる。千葉駅から東千葉駅方向に向かうと大きな陸橋の交差点がある。そこを超えてさらに200mほど歩くと左側の野原の中にぽつんと千葉予備校があった。千葉駅から歩いて15分くらいの距離であった。小さな予備校であったがちゃんと学食まであった。
 当時,周囲に建物はなくて広い野原だった。途中の小川には温水が流れ込むところがあり熱帯魚のグッピーが繁殖したりしていた。今は大きなビルが立ち並び同時の面影は全くない。
 緒方先生は千葉大から出張してくる国語の講師だった。中肉中背の紳士だった。雨の日には長靴でやってきた。いつも落ち着いた口調で分かりやすい講義をしてくれた。時々受験以外に興味深い話をしてくれた。いくつか紹介したい。
 先生は新潟の出身で先祖は武士だったそうだ。夜の来客の際,父親は戸にへばりつくようにして戸を開けたそうだ。不意に襲われないためであった。
 千葉大学の正門付近で大学紹介の冊子を配っていたときのこと,通りかかった夫人に「うちの子は東大に行かせます」と言われて悔しかったそうだ。
 卒業生から仕事上の悩みを相談されることもあった。上司にきつくあたられて辛いとの悩みには「いやだと思う上司もそのうちいなくなってしまうよ」と答えたそうだ。
 授業以外のことでも世の中のことについて面白い話を聞かせてもらった。そんなこともありとても印象に残っている。因みに先生はクリスチャンであった。
 私の母は千葉大の教育学部の前身である高等師範学校の卒業生だった。そこで緒方先生に教わった。まだ若くて色白の緒方先生は白ナマズと言われていたと懐かしそうに母は話した。
 あれから長い年月を経た。緒方先生のことが気になりネットで検索してみた。すると同僚の方が緒方先生の思い出を綴った文章が見つかった。それによると千葉大を退官されたのち病により入院,1983年に77歳で亡くなられたとのことだ。
 亡くなられて久しいが先生は今も心の中に生きておられる。出会いとは不思議なものだとつくづく思う。
2020年6月19日

No.65
中古のパソコンを使ってみた

 オークションでFUJITSU i3―3240 という第三世代の旧式パソコンを落札しました。落札額は3000円でした。当時は高いものでしたが,今では中古でこの値段です。
 ネットの閲覧,ホームページ,ブログ作りなどには問題なく使えます。前に使っていたHP110−430jpより使いやすいです。何がよいかというと,体感的には3倍くらい速い,YouTubeの画質と音質が良くなった、アプリの動きがよくなったことなどです。
 経年劣化を考えれば2〜3年使えればよいと思っています。しばらく元のまま使ってみて,そのうちにメモリーの増設、SSDへの換装をしてみたいと思っています。メモリーもSSDも持っているものを使います。
 古いパソコンがいまだに使えます。日本製のパソコンの品質の高さがわかりました。
 Outlookやブラウザのデータはインポート・エクスポートの機能を使って移しました。以前と同じ環境で使えるので安心です。
 安物買いの銭失いではないかと気になりますが、今はこれで足りているので納得しています。いろいろ工夫して使ってみるのも面白いです。
2020年6月25日

No.66
データ復元ソフトを使ってみた

 パソコンを使っていて大事なデータを削除してしまうことがあります。そんな時に役立つのがデータ復元ソフトです。ネットで検索すると無料のものから有料の製品まで様々です。無料のものは試してみるにはいいのですが制約が大きいので結局は有料版が必要になります。
 今回有料版の一番安いやつを使用しました。使用したのは「復元 データリカバリー2」というソフトです。特に必要だったわけではないのでどんなものか試してみたくなったのです。コメントの評価はインストールできなかったとか低かったのですが,実際にはインストールは無事できました。検索が速く使いやすいです。
 削除されたファイル名がさほど待たずに表示されます。こういった点,お金を払ったソフトは速くて確実です。ただし,名前が表示されても壊れていて復元できないものがあります。削除して間もないものなら間違いなく復元できますが,何年もたったような古いものは駄目ですね。
 復元できるものとできないものが一目でわかるようになっていると便利だと思いました。いちいち確かめるのが面倒です。
 ともあれ3000円にしては良いものだと思います。
 小規模な復元にはよいと思います。使い慣れておけば万が一の時に助かると思います。
2020年7月1日

No.67
ノストラダムスの大予言Y

 この予言で最も注目されるのは「恐怖の大王が降る」という部分です。ノストラダムスは恐怖の大王は空の高いところにあり高速で降ってくる,小さくて見えない,降った後は世の中がすっかり変わってしまう,戦争や火災などによるのではないと言っています。
 当初,私はウィルスを含んだコウモリの糞が降ったのではないかと考えました。しかし,高速で空の高いところから降ってくる,目に見えない,世の中をすっかり変えてしまうという点で今一つ納得できませんでした。
 しかし,新型コロナウィルスが世界中に広まったのはなぜでしょうか。航空機です。航空機によって世界中に高速で拡散されたのです。そう考えれば空高いところから目に見えないものが高速で降ってくるということに対する説明がつきます。さらに世の中の様子がすっかり変わってしまったともいわれています。
 このようなことから「恐怖の大王が降る」とは新型コロナの世界的な感染拡大のことだと思いました。
 ところでノストラダムスは「恐怖の大王」が1999年の第7の月に降るといいました。これは現在の太陽暦ではなく,キリスト教的には一時代の区切りを表すのだという説があるようです。そうすると2020年が第7の月であるから2026年が2000年目で一区切りになります。このあたりで何か大きなことが起こるのでしょうか。
2020年7月5日

No.68
給付金10万円の使い道

 コロナ対策の給付金として国から一人10万円が給付されました。
 どのように使おうかと考えたあげく,私は次のように使いました。
1 メガネを作った。
2 中古パソコンとデータ復旧ソフトを購入した。
3 残りは8月に行う外科手術の費用にあてます。
 新型コロナの影響で収入が途絶えていたので助かりました。当初,少し残そうかと思ったのですが,10万円は全部使うことにしました。国からいただいたものは国に返します。
2020年7月7日

No.69
雨の中の猫

 ある雨の日,家の自転車置き場の台の上で猫が丸くなって寝ていました。作業していた私は目を上げると大きな猫にびっくりしました。「なんだ,そんなところで何してるんだ」と声をかけると猫はかすかに口を開いて「ニー」といったように見えました。黒猫で顎から腹にかけてと足先が白い猫です。背骨が山脈のようにゴツゴツと目立つのと毛につやがなくボサボサなので野良だと思いました。
 以前にも何度か来たことのある猫であり,邪険にしたこともないので安心しているようでした。ガタゴト作業をしていてもじっと寝ていました。
 気になって作業後も家の中から様子を確かめました。猫は30分ほど寝ていましたが,やがていなくなりました。野良猫には野良猫の生き方があるだろうと餌をやったりはしませんでした。
 それから今日までその猫を見かけません。軒下を貸しただけなのに,どうしたのだろうか,生きているだろうかと気になります。
2020年7月9日

No.70
青大将の主に出会った

 昔,学校のウサギ小屋で穴の中の子ウサギがいつの間にかいなくなってしまうという怪現象がありました。皆不思議に思っていました。
ある朝,隣の鶏小屋でニワトリが死んでいました。噛まれたような傷跡はありませんでした。しかし,地面には何かが激しくのたくったような跡がありました。
 ふと天井の梁を見上げると大きな青大将がこちらを見下ろしていました。黒い二つの目が不気味でぞっとしました。棒でつつくとぼたんと落ちてきました。頭をもたげて飛び掛かってきそうな勢いです。
ヒヤヒヤしながら何とか外に追い出すと長さが1.5mほどもある太い青大将でした。こんなのは見たことがなく,すごい迫力でした。
 これにかみつかれたら大けがです。何とか棒に絡めて尻尾をつかんで近くの藪に放り込み「もう来るなよ」と声を掛けました。
 動物の飼育小屋にはネズミを狙って青大将が来ることがあります。蛇に限らず動物の侵入を防ぐ工夫が必要です。
2020年7月10日

No.71
ガガイモの落下傘

 数年前,1月のよく晴れた日,犬と散歩していると何かが空から音もなく舞い降りて来ました。それはふわりと膨らんだ大きな綿毛のようでした。その様子がとても優雅だったので何だろうと拾ってみると白い毛が丸くふわふわしていて根元に茶色の小さな種子がついていました。うれしくなって,壊さないように大事に持ち帰りました。調べてみるとガガイモの種子のようでした。ガガイモは実が割れると綿帽子のような種子を風に乗せて飛ばします。
 どこかにガガイモがあるはずだとあちこち探しまわりましたが,どこにも見当たりませんでした。
 今年の5月になって市役所に行った折,花壇の植木に絡まっている草を見ました。細長いハート型の葉を見てガガイモじゃないかなと思いました。家で調べるとやはりガガイモでした。以前,種子が下りてきたのもこの近くでした。やっと見つけました。
 それからというもの花はまだかなと何度も足を運びました。しかし,ガガイモは暢気なものでなかなか開花してくれません。
 でも実が割れて種子が飛ぶのは寒い冬になってからでしょうから,まだ先のことです。ふわふわとしたガガイモの綿帽子をもう一度見たいのです。それまでずっと見ていようと思います。
2020年7月14日

No.72
ドウガネブイブイと夏の攻防

 夏になると庭の樹木がドウガネブイブイに襲われます。ドウガネブイブイはコガネムシより一回り大きく,カナブンよりも一回り小さい甲虫です。緑,青,銅色をしていてピカピカとつやがありきれいです。しかし,裏側は新しい十円玉の色をしています。樹木の葉を食害する厄介者です。
 夜になるとブーンと飛んできます。ブドウの被害が大きく,葉をガリガリにされてしまします。殺虫剤をかけたり手で捕ったりしていたのですがきりがありません。
 そこで今年はホームセンターでナイロン製のネットを購入してブドウの木を覆いました。網目のサイズが少し大きかったので二重にして使いました。
 効果は上々でブドウにつくブイブイがいなくなりました。その代わり周辺の梅,ツツジ,アジサイの葉を食べています。
 ドウガネブイブイはある時期を過ぎると来なくなります。そうなったらネットを外します。今年の攻防はネットで勝利です。
2020年7月15日

No.73
母の猫(1)

 今は亡き母の思い出です。母はチコちゃんという猫を飼っていました。父が亡くなって以来,一人暮らしだったのでたいそうかわいがって仲良く暮らしていました。
 チコちゃんは野良猫の子でした。ある時,壁の内側から子猫の鳴き声が聞こえてきました。何日も続き,声はだんだん弱くなりました。壁をくりぬくと小さな三毛の子猫が出てきました。
 母はその猫を飼うことにしてチコと名付けました。父が亡くなったばかりなので母も寂しかったのでしょう。父の生まれ変わりだといって可愛がりました。小さなチコはよろよろしながら母のあとをついてまわりました。
 そんなチコも成長して立派な猫になりました。母が「チコちゃん」と呼ぶと母のもとにとんでくるようになりました。
 チコは雌なので母は心配して不妊手術を受けさせました。腰のあたりに包帯を巻いたチコは痛そうに座っていました。でも,やがて痛みも取れて元気になりました。小学生の息子や娘も時々チコちゃんと遊びました。
 しかし,母と智子ちゃんの別れは突然やってきました。母が脳梗塞で倒れて入院してしまったのです。
2020年7月18日

 
No.74
母の猫(2)

 母の入院が済むとチコちゃんのことが心配になりました。しばらく我が家で面倒を見ようということになりました。チコちゃんは母の布団の上ですやすやと寝ていました。「さあ,家へ行くよ」と言って抱き上げてかごに入れようとするとチコちゃんは嫌がってもがきました。可哀そうにチコちゃんには何もわかりません。かごの中で不安そうにじっとしていました。
 家に着くと不安なのかあちこちうろうろしました。無理もありません。急に知らないところに連れてこられたのですから。しかし,一緒に遊んだ息子と娘がいるので少しは安心できたのではないでしょうか。
 何日かするとチコちゃんも少しずつ慣れてきました。子どもたちのそばにいるようになりました。
 ある時息子がテレビゲームで遊んでいると隣にチコちゃんがちょこんと座って一緒にゲームを見ていました。並んだ二つの背中が可愛いらしく見えました。
 落ち着いてきたかに見えたチコちゃんですが,夜になるとニャーオ,ニャーオと鳴きながら家中を歩き回ることがありました。母を探していたのでしょうか。
 このころ母は意識が戻り少し話せるようになっていました。もう少ししたら退院できると期待しました。 つづく
2020年7月18日

No.75
母の猫(3)

 そんな折,家族が玄関のドアを開けたときにチコちゃんがすっと外に出てしまいました。そして一目散に走って草むらに消えました。よほど外に出たったのでしょう。周りは草が生い茂り段差の多い所でした。素早いチコちゃんを追いかけることができませんでした。何日も探し回りましたが見つかりませんでした。
 もしかしたら猫好きのAさんなら何か知っているかもしれないとひらめきました。電話するとそれらしい猫が来ているとのことでした。Aさんは何匹も猫を飼っている猫好きです。猫は今ご飯を食べているとのことでした。早速,Aさん宅に向かいました。
 玄関の戸を開けると猫たちがあちこちから顔を出して怪訝そうにこちらを見ています。チコちゃんは友達が多いこの家が気に入ったのかもしれません。チコちゃんを引き取って抱いて帰りました。しかし,Aさんの家で大事にしてもらったほうが良かったと後悔することになるとは,この時は思いもしませんでした。
2020年7月19日

No.76
母の猫(4)

 チコちゃんにとっても家族にとってもしばらく平和な日が過ぎました。チコちゃんがそばにいると,つい撫でたり抱いたりしてしまいます。猫のふわふわした手触りが心地よいのです。息子がチコちゃんを初めて抱いたとき「温かい」といいました。チコちゃんの体温を直接感じて思わず出た言葉でした。
 チコちゃんはだんだん家族になじんできました。これなら母が退院するまでは大丈夫だと思いました。みんな安心していたと思います。しかし,そんなとき,また予想もしなかったことが起こりました。
 妻が玄関のドアを開けたとき,いつの間にか後ろについてきたチコちゃんが素早く外に出ました。外に出たチコちゃんは不思議な振る舞いをしました。
 チコちゃんは一旦ドアに向かって座りドアを見上げました。それから意を決したように一目散に走り,ぴょんと高い段差を飛び越えて草むらに消えました。
 一瞬のことでした。またAさんの家に行くだろうと思ったので慌てませんでした。しかし,今度はAさんの家にはいきませんでした。何日か探しましたが見つかりません。このあたりにはいないのではないかと思いました
2020年7月20日

No.77
母の猫(5)

 チコちゃんがいなくなってから数日した夕方,今日猫の声がしたと妻が言いました。チコちゃんが帰ってきたと思って外に出て家の周り中を探したけれどいなかったとのことでした。気のせいかと思うほど小さな声だったようです。
 それから数日後,今度は二人がニャーという声を聴きました。かすかな声でした。また家も周りを見て回りましたが見当たりませんでした。帰ってきたのならどうして姿を見せてくれないのだろうと不思議に思いました。
 それ以後,声がすることはありませんでした。チコちゃんが我が家にいたのは一ヶ月ほどでした。
 このころから母の病状は悪化していきました。そして入院から二か月目に天に召されました。
 あれから15年が経ちました。母とチコちゃんはきっと一緒にいるだろうと思います。母が呼ぶ声が聞こえます。「チコちゃん」
2020年7月21日

No.78
コバエ対策 モウセンゴケ

 テーブルでコバエがチョロチョロして気になりました。捕まえようとするとササっと逃げてしまいます。暑くなるとコバエには悩まされます。
 何か良い方法はないかと考えたすえ,生き物は生き物で制すのが良いと思いつきました。
 さっそくホームセンターに行って食虫植物「モウセンゴケ」を買ってきました。モウセンゴケは細長い葉にはべとべとした球状の粘液がついた毛がたくさんあります。これで小さなハエなどをくっつけて捕らえる湿地の草です。
 テーブルに置くと透明の粘液の球がキラキラときれいです。時々外に出して日に当てます。コバエを嫌がっていた息子が「コバエが来ないかな」と毎日ながめては,こまめに世話をしています。
 さて,コバエはどうなったかというと,いなくなりました。モウセンゴケに目を凝らすと小さなハエがついていました。
2020年7月26日

No.79
コロナ後の社会

 コロナ後の社会は大きく変わったとわれます。商業,医療,教育等あらゆる分野に影響が及んでいます。
 コロナの第一波が去り,自粛が解除されて経済活動が再開されました。しかし感染者が再び増加に転じ第二波が襲ってきました。
 コロナの蔓延を防ぐには経済活動を再度自粛するのが望ましいのでしょう。しかし,経済活動を止めれば社会が持ちたないでしょう。
 経済活動を継続しつつコロナに対応するしかなく,おぞましいことですが屍を乗り越えて前に進むほかないのだと思いました。
 新型コロナは数ヶ月でおさまり,すぐに元の生活の戻れると思っていました。しかしコロナと共存しなければならなくなり長い夜が続きそうです。
 ワクチンと有効な治療薬が早く開発されることを願っています。
2020年7月27日